ほうちゃんの日記・感動

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アグリフォトクラブと小田比呂志先生

↓アグリフォトクラブの作品集
下段2枚の表紙写真は小田比呂志先生の作品です
❶1977年❷1978年❸1980年

↓小田比呂志先生(1980年頃)

アグリフォトクラブは、職場の趣味の会として1977年1月発足しました。
仕事関連の家の光協会のプロカメラマン小田比呂志先生には大変お世話になりました。2018年8月に89歳でお亡くなりになりました。御冥福をお祈りいたします。

探しものをしていたら懐かしいものが出てきます。アグリフォトクラブの作品集や研修会での小田先生へのインタビュー原稿などなど。
備忘録として掲載させていただきます。先生もお許しくださると思います。すべて良い思い出です。ありがとうございました。

↓ずいぶん以前の研修での私の原稿です。写真についてたくさん教えていただきました。感謝!

☆プロカメラマン小田比呂志先生
「写真は芸術ではない。カメラが撮るんですよ。何百分の一秒のシャッターで芸術はできません」
小田比呂志先生は、家の光協会のプロカメラマン。昭和一ケタ、それも前半の生まれという。京都生まれの京都育ち。
小学校六年の時、近所の写真館のおじさんに現像液をもらった。それから写真に取り憑かれた。プロ入りは昭和27年、アマチュア写真コンテストに入賞したのがきっかけという。
「あのころは、だれかに弟子入りしないとだめで、弟子入りしても二年ぐらいは、何もさせてくれない。見て覚えろといわれたものです」
(インタビュー当時)小田先生は、ふるさとの京都で北山杉を追っている。北山杉は北山杉独特の美しさがあるそうで、それを執拗に追求している。朝もやの晴れぬうちにと、泊りがけでの撮影も繰りかえす。とことんやるプロの根性がうかがえる。「見てもらえる写真」それが小田先生の写真哲学。コップでも、たえずいろんな角度からながめるくせをつけることが写真を撮る基本だという。
 一週間に使うフィルムは平均して30本。休日でもカメラはかた時も離さない。写真は小田先生の人生なのだ。

↓1985年9月18〜23日 都市の農業写真展 アクティ大阪27階


↓有給休暇を取らせてもらって一週間会場に張り付きました。懐かしい!

※アグリフォトクラブは、私が2016年に退職後、会員の減少等で解散したとの連絡が数年前にありました。

↓懐かしい小田先生の写真が見つかりました。左は酒井一實さんです。

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しあわせは いつも自分の心がきめる(相田みつを)