ほうちゃんの日記・感動

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懐かしい青州の里★12/8 Eテレで華岡青州が紹介されていました。★麻酔薬「通仙散」

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懐かしい青州の里。10年くらい前に何度も行ったことがあり、このブログでも紹介しました。★12/8 Eテレ知恵泉で華岡青州(はなおか せいしゅう)が紹介されていました。
NHKプラスの見逃しでスマホで見ることができます。

番組見ながら概要メモしました。ボケ防止になるかなぁ。

痛いの痛いのトンで湯気!Eテレのだじゃれもあり。

江戸時代の中期、歌麿写楽が活躍していた頃。和歌山の村医者の家に生まれた青州は、京都で3年間医学、外科を学ぶ。父から聞いた中国の名医の麻酔薬・麻沸散(まふつせん)。トリカブトの根(鎮痛)、曼陀羅華(意識を失う)の分量を調整、動物実験を重ねた。人間で試してみないと使えない。母と妻が申し出てくれた。母は麻酔からさめず、妻は失明する。六種類の薬草を調合、通仙散(つうせんさん)と名付けた。

1804年、青洲44歳の時、大和の国(奈良)の藍屋利兵衛が乳ガンの母を連れてきた。「このままでは苦しいだけ、手術をしてください」の患者の言葉に、18年間の研究の成果を試す。準備は徹底的に、そして思いきってやる。焼酎で消毒。以後100回以上手術、通仙散は幕末まで使われていた。明治に入りドイツの薬が軍隊などで使われるまで。

門下生には、他言無用の誓約書。慎重に扱うことが大切なためだった。自分の肖像画と矢言(卒業証書)を渡して「医は仁でなければならない」を徹底した。座右の銘は「活物窮理」(かつぶつきゅうり)。物を活かして理を窮める。華岡青州はすごい人だったんだ。

Eテレは、野菜のキュウリを見せて「活物窮理」をだじゃれて解説した。今は情報が氾濫、何が正しいかわからない。情報・技術の伝達こそ責任を持てと番組は締めくくった。

青州の里は、和歌山県紀の川市、小高いところにあり、斜面を活用した施設、公園になっており、レストランやパン屋がありました。
今は道の駅となってるみたいですね。
www.michi-no-eki.jp
kandou.hatenablog.com
以前(2005年)時代劇ドラマ「華岡青州の妻」が放送されたようです。
www6.nhk.or.jp

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しあわせは いつも自分の心がきめる(相田みつを)