ほうちゃんの日記・感動

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満州での戦前戦後のドキュメンタリー自伝本「人生そろばん街道をゆく」 炭鉱の事故で大怪我、そろばんがその後の人生を救った

「人生そろばん街道をゆく」筆者の大谷茂義氏は、現在86歳(1928年1月 大阪市生まれ)
★14歳で満州開拓青年義勇隊に入隊、1945年に敗戦を迎えるも帰国できたのは13年後。炭鉱での落盤事故により大腿部骨折、腫れたままギブスされたためうまくくっつかず再治療、障害が残ることになったが、幼い頃に兄から習った「そろばん」が炭鉱や大学、銀行での会計担当の道を開き、人生を救った。帰国後は農協で30年間勤めあげ、今もそろばん塾を経営。そろばんを通して中国との交流も続けている。

↓大谷そろばん塾 https://ootanisoroban.com/
ゴールデンウィーク前に開催された年金友の会の総会に出席した後輩から、出版したことを私に伝えてと言われたと聞いて、即ネットで検索して購入し読んだ。戦争の悲惨さ、愚かさ・・・体験した様々なことを伝えようと綴られている。
★泣き声が逃亡を阻むと乳飲み子の始末を促した責任者たち、敗戦間際の特攻命令に無駄死になると従わずに多くの隊員の命を救い営倉(留置場)送りとなった司令官。リーダーの判断ひとつで生死が分かれた体験なども綴られた胸が痛むドキュメンタリー。「日本とは、日本人とは」を考えてみるのに読んでみる価値あり、おすすめします。

P122 避難中、乳飲み子の始末を促した責任者たち
P165 敗戦間際の特攻の指示に従わず、隊員の命を救い、営倉(留置場)送りとなった司令官
P219 生涯の伴侶はきれい好き、枕カバーに白墨で金魚の絵を書き、水を欲しがっている(洗わないといけないよ)
P234 0.9で割る誤算発見法で間違いを見つける
P237 低血圧で医者が止めた水泳大会に参加して活躍、高飛び込み優勝、自由形100m2等、平泳ぎ200m3等
P252 帰国後、中国(竹のカーテン)から帰ってきた者として、公安の調査対象にされる
P267 社会主義のスローガンだと思っていた「一人は万人のために、万人は一人のために」はイギリスのロッチデールで生まれた協同組合運動のモットーだった
P269 そろばん教育は一人の百歩より、百人の一歩で一人の落ちこぼれも出さない
P304 その土地の食事が口に合わなければ、一度食事を抜けばよい。おなかがすけば、美味しい料理に変わる
★追記 20160321 ★NHK第一ラジオ深夜便20日と21日の早朝午前4時過ぎから両日とも約40分間出演されました。「そろばんで生き抜いた戦中・戦後」と題し、インタビューを受けられました。88歳の今も元気でそろばん塾を経営をされています。
★その折の録画音声です

 2016 3/20 https://youtu.be/YWNqmJr1yXQ
 2016 3/21 https://youtu.be/KkP16EUfeF4
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しあわせは いつも自分の心がきめる(相田みつを)